贈り物が怖い

贈り物をすることも受け取ることも怖くなった経緯から、自分の人生を振り返ります

宇宙人のおじさん

殺したい存在と言うと思い出すのが

宇宙人のおじさんです。

 

私は幼稚園くらいの頃、友達5人くらいかな…放課後の園庭で遊んでいた時に、自称「宇宙から来た」というおじさんに会いました。

 

(昔の幼稚園の門は閉園後も開いており、園庭も公園のように解放してありました)

 

「宇宙から来た」を間に受けた私たちは、おじさんの不思議な話や行動に「宇宙人だから出来るんだ」と引き込まれていきました。

 

そのおじさんが私の耳元にそっと息を吹きかけ、肩を抱き引き寄せてこう言いました。

 

「君は特別、色が白いね。二人だけでこっそりあっちで遊ぼう」

 

友達がちょっと離れている際に、よく触れてくるなーと違和感があった記憶もあります。

 

私の中では友達と一緒に逃げ帰ったことになっていますが、

この記憶は今でも時折(月1〜3回)夜中に蘇り、

 

「本当は、何かされていたらどうしよう」
「自分で自分の記憶を改ざんしたんじゃないだろうか」
「本当に私は逃げ帰れたのだろうか」

 

と、鼓動が早くなって眠れない日があります。

 


沖縄の基地問題などで出てくる性被害のニュースを見ると、本気で殺意がわいてくる自分が恐ろしくなります。

 


宇宙人のおじさんのことは、帰宅後すぐ母に話したように記憶していますが、


その時の母の反応などは憶えていません。

 

 

我が家は門限が厳しく、父に至っては私がスカートを履くことすら禁止していました。

 

送り迎えを異常なくらいやってくれていたことに関しては、両親から大事にされていたと思うのですが、

 

もしかしたら、宇宙人のおじさんの件からきていたのもしれませんし、私の考え過ぎかもしれません。

 

 

今となっては

本当はどうだったかなんてわかりません。

 

 

本当かどうかわからないことを

信じて苦しむのは疲れます。 

 

 

だから、本当はどうだったかより

自分が何を信じるか、なのだと思います。

推理小説を読み漁っていた訳

父がいなくなれば

母が自由になれる

 

父をどうにかしなければ

母が自由になれない

 

母から呪文のように聞かされていた

「私は殺されてもいいけど

私のことを思って娘が父を殺さないか心配」

というセリフがいつも頭にあったので

 

殺人事件がテーマの推理小説が大好きでした。
とにかく物凄い量を読んでいたと思います。

 

 

どの小説を読んでも

完全犯罪はありませんでした。

 

捕まらないという視点で言えば完全犯罪になったとしても

心はいつも怯えて暮らす羽目に…というオチ。

 

 

あの時、完全犯罪が成立し、かつ、心も軽やかになる小説と巡り会わずに済んでよかったです。

 

 

 

灯油を撒かれる

記憶が曖昧なのですが、

父は灯油を2回ほど家の中で撒きました。

 

和室で…だったかな。

 

 

信じていた友人から騙されたショックか

大きな借金を作った自分を責めていたのか

私たち家族に申し訳ないと思ったのか

自暴自棄になったのか

 

理由はわかりません。

 

どれも当てはまるのかもしれませんし、

他にも何か思いがあったかもしれません。

 

 

火をつけなかったのが幸いで

無理心中にならずに済みました。

 

 

そのことがあってから

身の危険を感じた母は

父の先輩に頼んで

父を精神病院に入院させました。

 

 

その頃の母の口癖は

「殺されるかもしれない」

でした。

 

 

だけど、

 

父にとっては

信頼していた先輩から精神病院に入れられ

ますます人間不信になっていたのでしょうね。

 

2度入院しましたが

退院する度にさらに目つきが鋭くなっていました。

 

 

時折、事情を知っているほんの一部の父母の友人らが、我が家に様子を見にきてくれました。

 

 

父が酔っ払って寝てしまった後

母が来てくれた友人らと話している場面で、

「私は殺されてもいいけど

私のことを思って娘が父を殺してしまうのではないかと心配になる」

 

というセリフを、よく友人らにこぼしていました。

 

 

私がいる場所で話していることもありましたし、

私には聞こえていないと思いながら話していることもありました。

 

 

それを聞いていた私は、

 

いつか私は犯罪者になるのだろうか

私が父を殺さないと母は救われないのだろうか

 

と、自分の存在をさらに呪うことになるのです。

 

 

 

 

 

 

思春期の一大事

父が暴れ出すと、

 

私たちは車の中で寝たり
事情を知っている数少ない知人の家に避難したりしていました。

 


そんな生活が続くことで
思春期の私にとって一大事な出来事がありました。

 

 

それは、

 

洗濯が出来ない

お風呂に入れない

着替えられない

宿題ができない

 

いわゆる女子が一番気にする項目が

自分の意思ではどうにもならなかったことです。

 

 

あの頃、

きっと陰口叩かれてたんだろうなぁ。

 

 

美意識の高いイケてる女子グループからの視線が差別的だったのは、気のせいではなかったと思います。

 

 

おまけに

私の通う中学は受験して入る中学でした。

 

家がお医者さんとか大きな会社とか

公務員とか教員とか

そういう家庭の割合が高かったので、

 

私のように

 

身なりが整っていなかったり

遅刻したり

授業中に居眠りをしたり

宿題をしてこなかったり

 

そんなのはありえない人種だったことでしょう。

 

 

先生からも不審がられましたが

 

「父のことを絶対に口外してはいけない」

 

という母の教えを頑なに守っていたので、

いろんなことが私の怠慢やだらしのなさとみなされていたように思います。

 

 

それでも、

よき友人に恵まれました。

 

事情はわからずとも何かあるんだろうな…と察して、私のことを受け入れてくれる友人はいました。

 

イヤなことばかりでは決してなかったことが

唯一の救いです。

 

 

 

アル中を支える共依存の母

アル中になった父。

 

父は働かなくなったけれど、

自営業は母の切り盛りのおかげで

生活には全く困りませんでした。

 

 

母が稼いだお金を

あるだけ飲む

あるだけ人に奢る

あるだけ人に貸す(返ってこないけど)

 

そんなサイクルがグルグル回り続けていました。

 

 

母は美しく

頭が良く

いわゆる出来る人でした。

 

プライドも高かったので、

 

父がアル中であること

父が家の中で暴れること

父が働かないこと

 

「それらは絶対に口外してはいけない」

 

と、子どもである私たちは言い聞かされて育ちました。

 

 

父は外に出ると「社長」と呼ばれ、

 

夜の街を飲み歩いても

「社長は接待に忙しいなー」

 

お店にいる人全員分のお勘定をしてきても

「社長は太っ腹だなー」

くらいのことで、

 

父がおかしいことには誰も気がついていませんでした。

 

 

そんな母の口癖は、

 

「あなただけが頼りよ」

「お母さんはあなたがいるから頑張れる」

「あなたがいなかったらとっくに逃げてた」

 

 

私や妹がいたから逃げられなかった

ということではなく、

 

私や妹がいたからツライことも頑張れた

という意味だったのだと思いますが、

 

子どもであった私は、

 

自分がいることで母は暴れる父から逃げることができず苦労しなければならなくなった

 

と、自分の存在を呪いました。

 

 

なんとかして私が母を助けなければ

 

その一心でつい数年前まで生きてきたように思います。

 

なので、

 

私の中の法律は、自分よりも

「母を幸せにすること」

になっていました。

 

 

父のこと

父は私が19歳の頃に急に病死しました。

 

 

父はどんな人だったかと言うと、

 

誰かの一大事には全身全霊で支えるような

バカがつくほどのお人好しでした。

 

 

我が家は自営業で

幼少期の記憶ではお金で我慢したことはありません。

 

欲しいものは何でも手に入り

お金は常にあるもの

それが私の常識でした。

 

 

話を元に戻しますと、

 

自営業である程度裕福であった我が家に

お人好しの父が持ち帰ってきたのは、

 

友人の借金の連帯保証人になって、結局、逃げられた

 

親戚や友人にお金を貸したら、トンズラされた

 

という出来事でした。

 

 

これらは、一つや二つを通り越して大小合わせると数え切れないほどの日常茶飯事でした。

 

 

これらをきっかけに

元々お酒が好きだった父は

いわゆるアル中になります。

 

 

人が大好きだったから

人を無条件で信じる子どもみたいな父だったから

ショックも大きかったのでしょう。

 

お酒を飲まないとやりきれなかったのだと思います。

 

 

理由には薄々気がついている

20代前半くらいまでは楽しかった贈り物が、

段々と怖くなった理由については、

薄々気がついています。

 

 

その理由は、母と妹です。

 

 

だからと言って

母と妹のせいだとか

恨んでいるとか

そういうことではありません。

 

 

いろんな出来事の重なりから怖くなったんだなぁ

というのはわかるのですが、

 

その怖さをなかなか取り除くことが出来ず

見て見ぬ振りしてきたツケなのか

今、贈り物の都度苦しくなるので

 

いろんな出来事と一括りにしているものたちを

ひとつひとつ見ていきます。